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2012年1月 1日 (日)

越後一の宮 弥彦神社・・

弥彦神社の創建は不詳ですが古くから越後一ノ宮として広く信仰を集めた古社で、祭神の天香山命(天香山命は尾張国造家の祖神であることから大屋彦命や大彦命を祀っているとも云われています。)は越後国開発の祖とされ漁業、製塩、農耕、酒造などの技術を伝えたとされます。承和9年(842)に従五位下、貞観3年(861)に従四位下に列し、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている越後国54社の中で唯一弥彦神社だけが名神大神の格式を持ちます。日本最古の万葉集(7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂)にも弥彦神社を詠んだと思われる歌が2首(「伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る」、「伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」)あり中央にも弥彦神社の名声が広がっていたと思われます。Yahiko001_2          =弥彦観光協会HPより紹介 ▲弥彦神社 ▲=

又、弥彦神社は歴代の領主や権力者の崇敬を受け、鎌倉時代には源頼朝から社領3千貫の寄進があり、建武2年(1335)には後醍醐天皇の勅額が奉納されています。戦国時代には上杉謙信が崇敬し戦の前に戦勝祈願の願文を弥彦神社に奉納、江戸時代では高田藩主松平忠輝が社領5百石を安堵しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により弥彦神社として独立、明治4年(1871)には国幣中社に列し、明治11年(1878)には明治天皇北陸御巡幸の際は弥彦神社参拝に訪れています。明治45年(1912)、弥彦神社の門前町から出た火災に類焼し多くの社殿が焼失し、大正5年(1916)に新潟県が社殿の設計を東京帝国大学教授伊東忠太工学博士に依頼し再建されています。これら弥彦神社の社殿群(建築物・構造物25件)は比較的新しい建物ですが、近代神社建築の規範になるものとして国登録有形文化財に指定されています。又、弥彦神社は社宝も多く源義家や源義経、上杉謙信等の武具が伝わり中でも志田大太刀(応永22年志田三郎定重が奉納、刃渡2.2m)と大鉄鉢(嘉暦元年相次郎孝基が奉納、高さ34.5cm、口径59cm)は国指定重要文化財に指定されています。弥彦神社の例祭である燈籠神事(国指定無形民俗文化財)は古式に則って行われる神聖なもので弥彦神社周辺の集落から神輿が渡御し、県内各地から大灯籠、小燈籠が奉納され、一社伝来の秘舞と伝わる舞楽(神歌楽・天犬舞・太々神楽・小神楽:国指定無形民俗文化財)が厳かに舞われます。
(ご参考新潟県WEB観光案内所HP等よりご紹介)

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